百妖箱トップ / 百妖箱とは
妖怪藝術団体 百妖箱は、
2008年から京都市右京区の嵯峨美術大学の学生、OBを中心に構成された団体で、妖怪をテーマにした様々な地域振興活動を行っています。
妖怪衣装、グッズ、作品の制作、および、仮装イベントやフリーマケットなどを企画運営し、地域の文化資源である「妖怪」をテーマに、創作活動による社会貢献の可能性を模索しています。
地域の文化資源?
創作活動?
社会貢献?
小難しいことを言いましたが、簡単に言うと、
地域に伝わる昔話である「妖怪」をテーマに、
モノづくりや面白い事をして、
地域の人々やお客さんに喜んでもらう
ということを目的にした団体です。
具体的には、
大将軍商店街妖怪ストリートで年に一度開催される京都最大の妖怪イベント、妖怪化装行列「一条百鬼夜行」の企画運営とプロデュース。
京都の夏の風物詩、大宮↔嵐山間を走る路面電車「嵐電」に妖怪を乗り込ませる「嵐電妖怪電車」のプロデュースと妖怪派遣。
大将軍八神社さんの境内をお借りして開催する、全国の妖怪作家さんを集めてのオリジナル妖怪グッズの販売市、妖怪アートフリマ「モノノケ市」を主催。
その他にも台湾の妖怪アミューズメントパーク「妖怪村」のイベントにお呼ばれしたり、東急ハンズ渋谷店で出張モノノケ市を開催したり、あべのハルカスの妖怪展示とコラボイベントを行ったり、京都、妖怪ストリートを拠点に色んな所で妖怪イベントを行っています。
百妖箱のメンバーは、イベントの企画や運営、出張などのチーム作業と、
仮装イベントやフリマイベントに向けて、妖怪衣装や妖怪グッズを制作しする個人作業に取り組んでいます。
妖怪をテーマにした作家集団でもありイベント団体でもある、それが百妖箱です。
「付喪神絵巻」によると、平安時代、捨てられた古道具が陰陽道の理論を元に妖怪変化し、人々を苦しめ、後に変化の神「変化大明神」を祀る祭礼行列を行います。
この行列は都の北端である一条通を西から東へと行進したといいます。
夜の都大路をたくさんの妖怪たちが大行列する。これを「百鬼夜行」といいます。
2005年、この一条通沿いにある京都市上京区の小さな商店街、大将軍商店街が、商店街を盛り上げるために地域に伝わる「百鬼夜行」のお話を元に「妖怪」をテーマにした地域振興活動を行う「妖怪ストリート」を創設しました。
丁度そのころ、右京区の嵯峨美術大学の観光デザインの大学院生であった河野(百妖怪箱 代表)が研究活動の一環として大将軍商店街に取材に赴いたところ、そのまま妖怪イベントスタッフとして第一回目の妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」を手掛けることになります。
今は百人以上の参加者が集まる「一条百鬼夜行」も2005年の第一回開催時には嵯峨美の学生約30名で行いました。
この第一回目の百鬼夜行は好評で今に至るまで継続して行われています。この後も嵯峨美の学生が中心に妖怪ストリートのスタッフとして妖怪イベントを手掛けていくのですが、妖怪ストリート以外からも妖怪イベントの出張依頼が相次ぎ、妖怪ストリートのスタッフとしてでは対応できないので、2008年、嵯峨美の学生有志が妖怪イベントを手掛ける団体を設立することになります。
それが妖怪藝術団体「百妖箱」です。
これまでの活動についてはこちらをご参照ください。
2008年、嵯峨美の学生有志を集めて妖怪イベントを企画運営する団体を立ち上げた際に名称を学生メンバーで考え、投票で決定することになりました。その際に2位と一票差で選ばれた名前が「百妖箱」です。名前の響きと、2位よりましだろうという理由で選んだので、特に意味はありません……。ちなみに2位の名前は「京都パープルミラー」でした。
「京都パープルミラー」を考案した学生はあみだくじで初代学生部長となり、卒業後、「宇治茶」という名前で映画監督デビューしました。彼のデビュー作「燃える仏像人間」は、諸星大二郎先生を彷彿とさせる怪奇色満載の怪作です。ご興味のお有りの方は是非。
ちなみに百妖箱のロゴは、陰陽を表す太極図と箱のモチーフを組み合わせたモノです。「観光」という名称の由来が陰陽八卦の組み合わせについて記された『易経』にあることや、百鬼夜行のお話が陰陽道と関わりがあることからこのデザインとしました。
新規メンバーは嵯峨美術大学、もしくは京都周辺の他大学の学生に限って募集しています。(社会人の方で百妖箱に興味がお持ちいただける方のために、いずれ受け皿を作ると思います。)
ちなみに、百妖箱メンバーに必要な条件は、
とさせていただいています。
ご興味のおありの方はお気軽にご連絡ください。
メールはこちらまでお願いします。